目 次八雲が愛した日本の庭 1983(昭和58)年の暮れに旧居の大修理が終わった頃、のちに12代当主となってこの家の管理を担っていくこととなる根岸道子氏は、文化庁から「中級の武士の家が現代まで昔のままに住み続けられているのは日本でここ一軒」と告げられ誇らしく思ったと、著書『お濠端に暮らす』の中で回想している。また、1996(平成8)年に来松した大江健三郎氏は、「旧居と云うものをこんなに美しく保存されているのを初めて見て感激した」と話したという。 八雲は、かねてより武家の屋敷に住みたいと願っていたこともあり、この家の風格ある上品な造りを大層気に入ったが、それにも増して彼の心を強く捉えたのは、その美しい庭であった。 小さいながらも、純粋に日本庭園(枯山水の観賞式庭園)として評価の高いこの庭をつくり上げたのは、幕末から明治の世を生きた、根岸家10代目の干夫とその父小石である。共に風流人であった二人は、力を合わせて思うがままの庭づくりを行った。こうして山水の自然な風景を見事に絡めてつくり上げた庭こそが、八雲の書いた「日本の庭」である。 2002(平成14)年頃にイギリスのテレビ局のクルーが取材に訪れた際には、『知られぬ日本の面影』を片手に読みながら庭を眺め、「同じだ。100年前と変わっていない」と驚いていたという。このページに載せている写真と八雲の文章を見比べれば、現在もなおそのようであることがご納得いただけるであろう。 旧居の庭の植物 庭の植物名が根岸氏の著書に詳しく記されているので、南側および西側の庭についてご紹介する。南側の庭 (八雲の好んだ)サルスベリ、松、スダジイ、ユズリハ、タブ、三種の椿、サザンカ、イヌマキ、キンモクセイ、モミジ、ボケ、ユキヤナギ、ハギ、シモツケ、バイカウツギ、ツツジ、コデマリ、ヒイラギ、シャガ、アジサイ、ツワブキ、水仙、シラン、イチハツ、ツユクサ、カンゾウ、カワラナデシコ、コギク、シャクヤク、キキョウ、コケ、ミヤコワスレ西側の庭シイ、イヌマキ、コウバイ、ハクモクレン、ボケ、シキミ、トベラ、モッコク、ナンテン、ハコネウツギ、ムベ、笹、シダ類、ハラン、サギソウ、ヤブコウジ、マンリョウ、マユミ、アマドコロ、シャジン、シモツケ、シイの幹にピンク色のセッコク なんと豊かな植生であろうか。これらは著書の書かれた2005(平成17)年当時のものであるが、現在も大きく変わってはいないと思われる。八雲は『日本の庭にて』で樹木のことについては詳しく書いているが、草花については余り触れていない。根岸氏は、「庭の草花はとても百年も同じものがあるとは思えないので、私は季節に咲く日本の花々を選んで育てている」と記している。旧居の庭と八雲の心の共鳴 この庭のことを書いた八雲の文章を初めて読んだ時の驚きを、根岸氏は次のように回想している。それは居間や書斎など三方から眺める五十坪位の小さな庭の石の観察から書き起こしている。この庭に棲む蛇やカエルなどの小動物、飛んでくる小鳥、昆虫、池の中の生物など有情のもの、さらに無情のもの、また木など植物のそれぞれが持つ伝説・寓話等で、日本人の私が知らなかった事までを延々と書かれているのでとても恥ずかしくなった。まったく同感である。 氏が改めて驚いたその文才はさておき、前述の通り八雲は『日本の庭にて』で、この小さな庭から見えてくる、日本の自然と人々の暮らしとの関わりを紐解きながら、ささやかな精神文化論とも言える論考を展開した。その背景にあったものは何だろうか。 日本の古い庭園がどのようなものかを知った後では、イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、いったいどれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか。そんなこともわからずに、ただ富を誇示しているだけではないかと思われたのである。 八雲は、旧居の庭に「日本の風景が生き生きと美しく縮小され、再現されている」ことを見い出し、人工的な西洋の庭園の姿に、急速に世界を覆い尽くそうとしている近代物質文明へのアンチテーゼを再認識しているように感じられる。 日々の暮らしの中で、この庭の有情・無情のものたちを静かに見つめ、ふれ合ったことが、その思いをさらに確かな輪郭あるものへと昇華させていった。やがてそれが、自然のものへの慈しみと、それらが秘めている霊性に対する畏怖とに基づいた、日本人の自然観や精神文化への共感と礼讃につながっていったと想像される。 その思索の彼方には、小泉凡氏の言う、松江独特の「暗さを含んだ明るさ」のある風景が広がっていたのかも知れない。それが不遇な生い立ちの中で味わった深い孤独と赤貧、妖精や幽霊など異界のものとの関わりなどを通して形づくられた、八雲の内面的な「陰」と深く響き合ったことが、少なからず影響していたのではないかと思われるのである。北側の庭の蛇と蛙 八雲は、書斎に面した旧居北側の庭も大いに気に入っていた。この庭には小さな池があり、八雲の入居以前から蓮が植えられていた。その成長過程を見届けることができるのはこの上ない喜びであると綴っている。上の写真の撮影は3月上旬だったため、まだ浮葉もほとんど見えないが、八雲が入居した6月下旬には、おそらく水盤のような立葉の間から大輪の花を咲かせ始めていたことだろう。 この池では夏になると驚くほどたくさんの蛙が声を競っていたが、天敵の蛇もまた数多く棲んでいた。八雲は「蛇はこちらに悪意がなければ決して悪い事はしない」と言っていたものの、その犠牲となった蛙の、断末魔の悲しそうな鳴き声をいたく憐れんだ。「あの蛙取らぬため、これをご馳走します」などと言って自分のお膳のものを与えたとセツが回想している。4/4へ続く